有名人百合系SSまとめ
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┣黒川智花A01
作者:小説家
[INVITATION〜扉の向こう]


「は〜い、カット!智花ちゃん、もう少しリアルな演技してくれないかなぁ?」
監督のダメ出しは、いつも智花に厳しい。心なしか、表情は強張っていた。
「大丈夫よ、心配しなくていいから」そっと、多江が声を掛けてきた。
「あ、はい…ありがとうございます」
俯いた顔を上げると、多江は微笑で応えていた。
“多江さん、ごめんなさい…”智花は、心の中で謝っていた。
収録が始まって2ヶ月が過ぎ、2人はだいぶ打ち解けていた。時々は冗談を言い合ったりする位、待ち時間には笑いが絶えなかった。
現場の雰囲気作りに貢献している多江の姿が、智花には眩しく映っていた。
“もっと仲良くなりたいな…”智花の想いはいつしか、ある感情が加わっていた。
憧れ以上の存在の多江に、智花は“恋心”を抱いていた。

ロケが夕方に終わり、いつもならスタッフと食事をする所だが、今日は違っていた。
「智花ちゃん、一緒にゴハンどう?」
多江の言葉に、智花は即答した。「もちろんです!」

「ふ〜ん、そうなんだ。最近の女子高生ってスゴいんだ」
他愛もない話なのに、多江は真剣に聞いていた。
そんな多江の姿に触発され、智花は身振り手振りが普段より大きくなっていた。
「あはは…智花ちゃんって、リアクション大きいんだね。知らなかったなぁ」
智花は顔が真っ赤になった。
店を出ると、春雷が空を覆い尽くしていた。
「雨の日は嫌い。智花ちゃんもそう思うでしょ?」「あ、はい」
「入って。あんまり大きな傘じゃないけど」多江の差し出した傘に、智花も入った。
「転ぶといけないから、手を握っていい?」柔らかな手が、智花の左手を包んだ。
「あったかい…」「そうかしら。見た目が冷たく見えるからそう思うんじゃないの?」
その瞬間、智花の左手は更に強く握られた。
「離したら、ダメよ。そのスカートが泥だらけになったら、台無しだもの」
2人は1つの傘の下で、走り始めた。
まるで、その後に起きる恋に向かっているかのようにー。

智花の携帯が鳴った。「もしもし?」「あ、智花ちゃん?多江です」
ドラマが終わっても、2人の仲は継続していた。大抵は、多江が智花を誘い、時折、映画を一緒に見に行っては、その後の食事中に演技について語るのが2人にとって、一番の楽しみだった。多江の演技論に智花は強く惹かれた。
「平凡に演技する事が一番難しいの。エキセントリックな方がどれだけ楽か分る?」
「え…それは・・・」「難しい質問だったね。智花ちゃんが大人になったら分るわよ」
 
「今日はどうしたんですか?」無邪気に智花は尋ねた。
「智花ちゃんと話がしたくって…明日、時間ある?」
「あ、はい。ロケは昼までなので、遅くても夕方には。多江さんこそ、大丈夫?」
「ありがとう。夫は大阪で泊りの出張だから時間は気にしなくてもいいわ。ごめんね、 最近忙しいのに。この前もゲスト出演のドラマ見たわよ。演技、上手かった」
「や、見てくれてたんですか…恥ずかしい・・・」
「私ね、嬉しいんだ。智花ちゃんが、1作ごとに成長していっているのが判るから」
多江に認められている事が、智花には大きな自信になっていた。
愛する人から注がれる視線の力である。
“でも、多江さん、私が好きって言ったら離れてしまいそうで怖い…”
相反する思いが、智花の胸中を去来していた。
「それじゃ、明日、渋谷のいつものイタリアンで会おうね」
「あ、はい!楽しみにしてます」智花は携帯のボタンを切った。
いつかは言わないと、前には進めない。智花は、知っていた。
誰にも相談できない恋だから、想いは膨らんでいたのである。

「あぁ、食べすぎちゃったかなぁ」多江は、笑顔で智花に言った。
「そうですね。私も、ついつい食べちゃった」。
「ねぇ、智花ちゃん。一つ、質問してもいいかな?」
「え、何ですか?」
多江は、一呼吸置くように、息を吐き出しながら言った。
「智花ちゃんは、恋愛って、どんなものだと思う。楽しい?それとも苦しい?」
「あ、それは…」智花は、多江に本心を射抜かれている様な気がした。
「主役していた“ハツカレ”見ていて、そんな事を、ふと思ったの」
「私の演技、そんなに上手くなかった?」
「ううん、そんな事を言っているんじゃないの。智花ちゃん、まだ十代だもんね。酸いも甘いも知っていたら、それこそおかしいわ。ただ、知るきっかけはいるわよね。好きな人はいないの?」
「え…うん」
「あ、いるんだ」
初夏の夜風と、渋谷の喧騒に満月が輝いていた。
「もう、恥ずかしがりやさんなんだから。例えば、こんな事とかしたいんじゃない?」
多江は、智花の右手を握った。それも指を絡ませて。
「恋人繋ぎって、聞いた事ある?」無言で、智花は首を縦に振った。
「そう…私はね、好きな人いるわよ」「え?旦那さんじゃなくて?」
顔を赤らめた智花は、目を見開いて、多江の横顔をみつめた。
「そんなに知りたい?知っても失望なんかしない?」
通りがかりのカップルが、2人の横を通り過ぎて「REST」と書かれた入り口に入っていった。
「私、多江さんに失望なんかしないよ。だから、ちゃんと知りたいの」
「ついてきて。私も、智花ちゃんには正直でいたいから…」
恋人繋ぎをした2人は、夜の道玄坂を登り始めた。
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