2007/05/04
┗瀬戸朝香A01
作者:不明
「あれぇ」
急に声がしてびっくりする。
飲みかけたホットミルクが変なところに入って、思わずむせ返った。程なくして笑い声が近づいて、背中に大きな手のひらが触れる。
「大丈夫?」
「あ、す」
すみませんの代わりに何度か咳込んで、慌ててコクコク頷いて見せる。うっすら涙目で見上げると、天海さんはまた楽しそうに笑い声をあげた。
「まだ寝てなかったんだ」
「眠れ、なくて」
「ふぅん」
言いながら隣の椅子を引いて、いとも当たり前に腰を下ろす。少し、戸惑う。
こんな展開にるとは思わなかったし、そもそも起きてくる事だって予想外だったから。
隣に座った天海さんは軽く目をこすってから、そのままひょいと頬杖をついた。
「もう平気?」
「あっ、はい、もう」
慌てて何度も頷けば、ニッと悪戯っぽい笑みを口元に浮かべて。また背中をさすってくれるから、気恥ずかしくてつい下を向く。
柔らかい沈黙。
膝に置いた両手を眺めながら大人しくさすられるままでいると、そのうち天海さんが思いついたように口を開いた。
「朝香ちゃんさぁ」
「はい」
「それ何?」
「え」
「牛乳?」
訊かれてはっとする。
「すみません、気づかなくて!今──」
「あ、良い良い!違う違う!」
慌てて立ち上がりかけたら手首を掴まれて、ぎょっとなって中腰のまま立ちすくむ。
ど、どうしよう。思ったら、天海さんがゆっくり首を振った。目で促されるまま、またゆっくりと腰を下ろす。
「ひとくち、ひとくち」
手首から離れた手が、ちょいちょいっとテーブルのカップを指さす。私は急いで天海さんの手元にカップを寄せた。
「あの…全部どうぞ」
一口っていったってどうせもう二口三口しか残ってないから。
天海さんが、「わーい」なんておどけながらカップに手を伸ばす。当たり前だけど取っ手がついてるから、自然と口をつけるところも重なる。
カップのふちの同じところに触れて離れるのを、ぼんやりと眺める。それから手元に戻ったカップには、まだ紅茶が残っていた。
思わず隣を見る。
「あの」
「あと一口」
見てたの、気づかれてた?顔がほてってくるのを感じながら、渋る。天海さんが絶対分かってる顔で、悪戯に目を細める。
「ほらほら、冷めちゃう」
楽しそうに言うから。何にも言えなくなる。
べつに多分深い意味なんてない。自分に言い聞かせながら取っ手に指を通す。きっとほとんど同じところに口をつけて、最後のひとくちを飲み干した。
「ごちそうさま」
笑った顔。きれいだなぁと、思った。
立ち上がった天海さんが、小さく首を傾げる。
「まだ起きてる?」
「あ、いえ…そろそろ」
「眠れそう?」
頷くと天海さんもニッコリ頷いてくれたから、なんだか無性に嬉しくなって。にやけてきそうな唇をかんでうつむく。
「じゃあ、枕持っといで」
その言葉があんまり唐突で。またむせそうになる。
枕?
目を見開いてみつめ返しても、天海さんは不思議そうにまばたきをするだけ。
腕枕が良い?」
「え、いっ、いえ」
「でしょう?…あ。私部屋にクッションあったかも。あったあった」
「あの、天海さ」
「それでいっか、ねぇ?良いよねぇ?」
「あ」
手が引かれて思わず息を飲む。しかもそう、カップ、せめて流しに──
「大丈夫!」
まるで見透かしたみたいに。にーって歯をみせて笑って、天海さんがさっさか歩き出す。
慌てて追いかけながらほんの少しだけ握り返した指に、気づかれたかどうかは分からなかったけど、多分。きっと。